観劇感想
初演以来のギャツビーです。
30年以上も前に観たっきりで舞台の記憶は全くと言っていいほどありませんが、すごく好きだったという印象だけは残っていました。
初演は1幕ものだったんですよね。実はそんな記憶すらはっきりとは残ってなかったのですが。
でも舞台を観ていたら、あれぇ~?こんなナンバーあったっけ?って思うことが多くて戸惑ってしまった。
そんなわけで東京の初日が明けて割とすぐに劇場に行ったのですが、なかなか感想を書き始められませんでした。
まぁちょっと仕事が忙しくなって帰ってからパソコンを開ける暇も気力もなかったというのもあるのですが。もっともツイッターは見てたりしてたので、本当に時間がなかったわけではないのですけど。
もちろん舞台は素晴らしかったんです。
さすが芝居の月組でした。
それぞれが本当に丁寧に丁寧に感情を紡いでいて、とても心情がわかりやすかったとも思うし。
でもその丁寧な描かれ方によって、30年前のふわりとした感動のなかに隠れていたいろんな意味が突きつけられた気がしてビビってしまったのだ。
なにせ「考えるな感じろ!」な人間なものだからあまり現実を突きつけられるとちょっとキャパオーバーになるんだよね。
アメリカの貴族とか馬鹿な女の子になってやるとか、それがナンバーとして表現されると、うん、まぁそれはそうなんだけど…そこまで念を押して言わんでも~となってしまった。
ウィルソンのラストの歌も凄かったんだけれど、神の裁き的なものを持ち出されると今度は逆に彼の心情がわからなくなるのは単に私がキリスト教的宗教観に馴染みがないからなのかもしれないけど。
そしてとどめがフィナーレ。
もちろん好きだ!これがなければ家に帰れない!
でも、ギャツビーが突堤でひとり「朝日の昇る前に」を再び歌う。そこで幕。というのがやっぱり大好きだったのよ。
そんなわけでちょっとモヤモヤしたまま観劇を終えてしまった。
あの短くて、飛び飛びで、登場人物たちの感情もどこか掴みどころがなかった初演の「華麗なるギャツビー」は私の記憶の中で一遍の詩のようになっていたのかもしれません。
一瞬の詩の美しさと長い物語を共に歩む喜びは全くの別物とわかってはいるけれど。
一回きりの観劇だからちょっと物語に乗りそこねたままになっちゃった。
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