スカステ視聴記録
劇場でも、もちろん観ているのですが、ちょっと確認したいことがあってスカイステージの録画も視聴。
というのも劇場で見てて衣装が、
あれ~~~???なんで~~~~????
と思ったところが、いくつかあったのだ。
いや、宝塚だもん。
大河ドラマじゃないんだから正確な時代考証なんて必要ないと思うよ。
華やかさ第一!!
でもね。日本物作品だとどうしても衣装で時代や身分や場所を把握することが多いので、さすがにちょっと気になるところが今回多かった。
気になったこと1 狩衣、なんだか多くない?
平安時代の男性の服装狩衣
今の時代で言えばジャケットって感じかな。
時代が鎌倉、室町と下れば、しだいにフォーマルウェアになっていくけれど。
少なくとも平安時代においては主に外歩きのときに着るカジュアルウェア。
だからこの芝居で狩衣を着ていいのは
- 北山に出かけて若紫を垣間見るところ
- 須磨に頭の中将が尋ねてくるところ
くらいかな~。
大野作品の「夢の浮橋」は郊外の宇治にお出かけする話なので全編ほぼ狩衣でOKね。
ところが今回豪華なオープニング(おそらく宮中という設定)で他の男役はみんな格のある衣装なのに光源氏ひとり狩衣なんだよね。
なぜに光源氏ひとりカジュアル???
ノーネクタイでクールビズなのか???
その後、雨夜の品定めでも自分と藤壺の子に対面するときも、朧月夜との逢瀬も全部、狩衣で登場。
これらの場面はオフタイムといえどもすべて御所の中なので今の時代で言うとスーツにあたる直衣でなければならない。
なのに他の貴族もみ~んな狩衣。
私はうたこさん(剣幸)の新源氏物語しか観ていないけれど、みんな直衣を着ていたはずです。
もうあの衣装は使えないのかなぁ。
で、今回ゆっくり放送を見て確認したら、みりおちゃんの衣装は前半はほとんど狩衣だけど(六条御息所に逢う時だけなぜか直衣)、許されて都に戻った以降は全部、直衣を着ていた。
つまり若い時は狩衣(年上の気の張る恋人に逢う時は背伸びして直衣?)
中年期は直衣としているのだ。
なるほど~~~。
なんとなく理由がわかりましたわ。
美しくって、いつまでも少年のようなみりおちゃん(明日海りお)の光源氏。
年齢と時間の経過を表現するために衣装を区切ったのね。きっと。
若い時…カジュアル
身分が高くなったら…フォーマル
そういうことか。
確かに直衣はもったりしてて若々しさに欠ける雰囲気ではあるものね。
それに狩衣より衣装代がかかりそう。
クールビズよりむしろ経費節減ってことか。
まぁ仕方ないかな。これは。
気になったこと2 子供の衣装がありえない
若紫の場面に出てくる子供達がぜんぜん平安時代に見えない。
特にあの文庫結びの帯はありえないわ~~~~
おはしょりの感じもすごく江戸以降っぽい。
別に私その時代の服装に詳しいわけじゃないけれど。
それでもぱっと舞台を観た印象がとたんに平安時代じゃなくなっちゃって興ざめ。
男の子の袴姿も武士っぽいし。
せめて裾を絞ってほしかったなぁ~。
端役の衣装に必要以上に凝ることもできないだろうけど日本物の子供の衣装がどんな時代設定であってもいつも、つんつるてんの着物に文庫結びになるのは勘弁して欲しい。
気になったこと3 ラストの藤壺の衣装
小袖に細帯で打掛けを一枚羽織ったきり。
なんだか安土桃山時代とかの奥方の雰囲気。
お市の方とか。淀君とか。
藤壺の宮なのに…
ここは緋袴に小袿にして欲しかった。
大野好み…なのかな?
演出の大野先生は勉強熱心で博識な方と聞いているけどどうもその興味の対象は平安後期以降の市井のなかでも日の当たらない人々のような気がする。
大野作品にはたびたび傀儡子が出て来るしね~。
平安時代ど真ん中の貴族とかあんまり興味ないんだろうな~。
なんとなく全体的な衣装の感じや画面づくりがすくなくとも平安末期以降な感じ。
大階段いっぱいの緋毛氈のオープニングは素晴らしかった。
でも、だんだんと話が進むに連れ平安の雅というより末世的なおどろおどろしさや寂寥感が、ほの見えてくる感じ。
源氏物語の時代はまだ末世ではないのだが…。
確かに六条御息所は生霊になるし物語のラストはやりきれない。
けれどそれが平安の最も華やかな時代の中で描かれるから、かえって哀れさ悲しさが浮き上がるわけで。
今回のように末世の雰囲気の中で描かれたのでは、なんか直接的過ぎるというか…。
でも、それが「大野先生好み」っていうことなのかしら。
まぁ、今時、源氏物語の内容知ってる観客なんて少ないもの。
仕方ないか。
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