観劇感想
開演アナウンスのBGMに物悲しい尺八の音色が。
「南部牛追い歌」かしら。
わたし訳あって歌詞もメロディも知っております。懐かしなぁ。
原作も映画もテレビドラマも見たことないけれど、度々飢饉に見舞われているであろう南部藩の下級武士が家族を養うため新選組に入隊し…
という程度のあらすじは知っていました。
ハッピーエンドなわけないよね。ぜったい悲しい話だよね。
ラストはやっぱり死んじゃうんだろうね。だいもん(望海風斗)の大劇場公演における死亡率って高すぎない?
もう「南部牛追い歌」聞いただけで涙もろい私はウルウルしてきたわよ。
と思ったところで、軽やかなオペラのアリアとともに華やかな舞踏会の幕が上がりました。
ホヨ?
慣れないロングドレスに四苦八苦する芸者さん&女学生のドタバタコメディが繰り広げられるもんだから出かかった涙が引っ込んじまったよ。
どうやら時は明治時代の鹿鳴館。
今は警察官となったあーさ(朝美絢)演じる新選組の生き残り斎藤一によって物語が語られる構造のよう。
と思ったら、かちゃ(凪七瑠海)演じる新選組の主治医松本良順が説明担当だった。
しかし、かちゃ。過去パートには一切登場せず。
正直言ってこの構造、良かったのか悪かったのか…。
物語に気持ちが入り込みかかったところで、軽やかな音楽とともにこの人達がウロウロと幕前を歩くのでちょっと気が削がれてしまうところはありました。
たしか小池先生の「ナポレオン」もこれと同じく息子世代と生き残りの会話による回想構造だったと思うけど、どんな演出だったかしらん。
「○○…、と言うことですよね。」と言う説明セリフのオンパレードに脚本のこなれなさは感じたけれど、演出的にはここまでの違和感はなかったように思うのだけれど。
だって幼い頃に生き別れた父の話を娘にするのに歩きながらって。ね~。
なんか違う気がするのよ。そんなに軽い話じゃないんだし。
もっとじっくり語るような演出にできなかったのかなぁ。
かちゃの落ち着いた語り口はとても素敵だったのに。それを生かさないなんてもったいない。
もちろん、舞台転換上、幕前や銀橋を使わざるを得ないことはわかっているし、下手のお客さんにも上手のお客さんにもまんべんなくスターさんを見ていただけるよう行ったり来たりの立ち話になったんだろうとは思うけれども。
って途中までは違和感感じまくりだったんだけれど、鍋島夫人のゆきのちゃん(妃華ゆきの)の気品のある美しさは眼福だったし、あやなちゃん(綾凰華)とひらめちゃん(朝月希和)はひたむきで好感が持てるし。
なにせ本編は辛い話なので、この次の世代の人達がいることで吉村貫一郎の死は無駄ではなかったのだと、彼が愛した人たちは生きて未来へ踏み出しているのだと、最終的には心に小さな希望が残るように思えてきました。
会うことが出来なかった貫一郎の次男が今は農学校で寒さに強い稲の研究をしているって言うくだりが好き。おにぎりっーー!
さて、一度は完全に引っ込んだ涙ですが、物語の後半、両替商のわがまま娘おみよさんの健気さにホロッとなってしまった。
悲しい場面というわけではないのにね。不思議なものです。
まあやちゃん(真彩希帆)今回は貫一郎の妻と京都の大店のお嬢さんの二役です。
まあやちゃんといえば下級生の頃から舞台での無双ぶりは素晴らしく、うっかりすると新人公演で周りの若手男役たちをバッタバッタとなぎ倒すくらいのインパクトがありました。
でも今回の故郷に残した妻のしづの時には南部の雪景色のなかにすっと溶け込むよう。
といっても存在感が薄いとかそういうんじゃなくって、そういう引いた芝居も違和感なくこなせていたんだなぁ。
そして彼女がほろほろと歌いはじめれば情景が広がって感情が揺さぶられる。
トップ娘役としてのさらなる進化に感動しました。
一転して京都のお嬢さん役では無双ぶりを発揮!といってもこれまで少し不得手かと思われていたいわゆる宝塚の娘役らしさもしっかり表現。
トップ娘役としてしっくり自然体になったっていう感じかしら。「ファントム」辺りからかな。それとも「凱旋門」で鍛えられたのかも。
無双のまま、そのままでしっかり寄り添えるって最高じゃん!
みつさんは華やかで、はっきりしてて、いままで願いが叶わなかったことのないワガママ娘!
と思わせておいて、彼女の心の中はただひたすら愛する人の命が無事であること!という健気さ。
そのいじらしい心根を知って涙腺やられましたよ。
みよのひたむきさに故郷に残したしづさんが重なって、あぁ、貫一郎さんはどんなに故郷に残した家族のことを愛しているか、どんなに会いたかっただろうか。
そんなことを思ったらその後の流れに気持ちが乗れて、静かに静かに涙が流れました。
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