スカステ視聴記録
- 「更に狂わじ」
- 「月の燈影」
- 「花のいそぎ」
- 「睡れる月」
- 「夢の浮橋」
このところ大野先生の日本物作品がスカステで放送されています。
どの作品も一分一秒も立ち止まることなく、どんどん過ぎ去ってしまう舞台という形態ではどうにも味わいきれない濃密な作品。
大野先生もしかして脚本より小説を書くほうが向いているんじゃないかしら。
小説なら、一見無駄な枝葉や回り道もそれこそが読書の楽しみ。
少々じれったいところがあっても、じっくり時間をかけ読み進めていけば最後にはきっとご褒美が用意されているでしょう。
時には後戻りすることだって可能です。
でも舞台ではそれが出来ないのよ。
もちろん、舞台だからといって100%わかりやすい展開を望んでいるわけではけっしてないの。
あれ、ちょっとよくわかんないけど??
って思ったところがどんどん解決されていけば気分も乗って行き、最後には素晴らしいカタルシスを得ることが出来ます。
そうはいってもやはり観客というものは小説の読者に比べてあまり我慢強くはないものなのです。
「睡れる月」にはいろんな思いを抱えたいろんな人々が次々と出てくるのだが、ほとんど全部が出てきたは良いけれど結局描ききれずにほったらかしになってしまう。
なので、観客としてはいつまでたってもカタルシスを得ることが出来ず、やがて退屈してしまう。
まぁ凡百の演出家なら
なんだよ~。生徒の顔見世に並べただけじゃん!
と、呆れてしまうところなんだけれど。
大野作品の場合、それぞれが深い背景を持っていてとても魅力的なので、もっとこの人達のことをじっくり描いて欲しい!!と思ってしまうのよ。
だけどそれを全て描くのは舞台という世界では無理なこと。
大野先生、もし、お時間あるならぜひ、これを小説化してください!
と頼みたい気分だけど…
そんな暇もないだろうし、退団して小説家にでもなられてしまったらそれはそれで困るしな~。
小説というのはそれが完成体であるけれど脚本というのはやっぱりちょっと違うのかもしれないですね。
面白かった舞台ってあとで脚本を読むとえっ?こんなにも大胆に話がとんでいましたっけ?と思うことがよくあった。
(昔はプログラムに脚本が載ってたのよ。)
バウよりもさらに時間の限られた大劇場作品だと舞台を見た印象ほどにはびっしり書き込まれていないんだよね。
それでも、いい作品はちゃんとつながって伝わってくる。
あまり書き込みすぎず、余白を十分に残して、そこを演出と演技の力をもってして埋めていくほうがもっとストレートに作品の心が我々の胸に響くものなのかもしれません。
「NOBUNAGA<信長>」はどんな作品なのかしら。
大劇場作品は特に、よく書き込まれた小説ではなく、中身はちょっとシンプルでも最初から最後までノンストップで読んでしまうエンターテイメント性の高い徹夜本であることが要求されると思う。
前作、日本物が得意な雪組の「一夢庵風流記 前田慶次」はなかなか面白かった。
今度は月組。
歴史的事実はあってもストーリはオリジナル。
さていかが相成るのか?
結構期待しているのだ。
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