観劇感想
「幕末太陽傳」の演出家は小柳奈穂子先生
そういえば「Shall We Dance」もこの先生でしたよね。
ちぎちゃん(早霧せいな)のおかげでとっても楽しいお芝居ではあったのだけれど、今回もあの時と同様、相変わらず観客の視線の誘導がおろそかな演出がどうにも気になった。
「ルパン三世」ではそんな感じはあまりなかったように思うのに。なんでだろ~。
たった一度の観劇だというのにまたしても肝心なところの見落し続出です。
例えば女郎のおそめ♪みゆちゃん(咲妃みゆ)とこはる♪あんりちゃん(星乃あんり)の大喧嘩のシーン。
いいよね。
盛り上がるとこだよね。
そこに沢山の女郎や使用人が小芝居しているのは構いません、妓楼の猥雑さを見せるために必要だから。
でも喧嘩が始まりそうになっているのに何時までたってもそれぞれワサワサと小芝居を続けているので、肝心の喧嘩勃発が埋没してしまっているのだ。
ここは取っ組み合いが始まる直前のボルテージMAXの瞬間に、後ろの人達全員の「気」がぐいっと二人に向けられるようにして一旦はちゃんと視線の流れを作ってほしかった。その後、またそれぞれ大騒ぎの小芝居に戻ってもいいからさ~。
それから貸本屋の金ちゃん♪大ちゃん(鳳翔大)の登場シーンも同じように埋没している。
もっと金ちゃんに視線が集まるように演出してくれないと、おそめが心中相手に金ちゃんを選ぶところで
「だよね~~~」って
笑うことができないのよ。
繰り返し見ている人ならは、その後の金ちゃんのへなちょこぶりを知っているから笑えるんだろうけど…。
金ちゃんってその後もエピソードがあれこれあって、この物語の重要人物じゃん!
なのに下級生演じる呉服屋さんと大ちゃん演じる貸本屋の金ちゃんが同じような割合で登場し、そのどちらが重要な役なのかがわからない演出なのは解せない。
呉服屋さんを演じた下級生はちょっと目立つ場面とセリフをもらってとても頑張っているよ。
ちゃんと良い芝居をしたよ。
でも、この場面で一番大事な人は金ちゃんなのよぉ~。
あとで友だちに聞いたら、金ちゃんはおそめとこはるの喧嘩に巻き込まれてへなちょこぶりを晒していたらしい。
なのに私は大喧嘩やら周りの大騒ぎやらに視線を惑わされてしまい金ちゃんには注意を払うことができず、そんな肝心な伏線を見逃してしまっていたのだ。
どうして心中事件前に、このひと重要ですよ!っていう視線の流れを与えてくれなかったの?
何度も劇場に足を運んで自力で見つけ出してください!ってことなのかしら?
でもそれってもはや演劇ではなく、ゲームなんじゃないの?
もう一つ、千躰荒神祭のあとで佐平次&おそめのデュエットが始まるシーン。
後ろの屋台に沢山の人達がいたのは最初のうちはまあいいでしょう。祭りなんだし。
でも二人のとっても良い芝居の時も歌がはじまっても、まだ残っていてずぅ~~っとワサワサ小芝居を続けているので肝心の二人のデュエットが美しく浮き立ってこないのだ。
ここは曲が始まったところで照明を落としていくか、もっと早く紗幕を下ろすかして、観客の視線が二人だけに集中できるようにしてほしかったな。
どうしてもそのまま舞台に生徒を残したいのならば、せめてストップモーションにして欲しい。
もっとも残るのは3人が限度かなぁ。
ちぎみゆの真後ろにごちゃごちゃ沢山の人がいてごちゃごちゃ動いているのは構図的にも美しくなくって、ちょっとどうかと思うよ。
まるで浮世絵の中に描かれた人達に見えるよう、こんな紗幕に登場人物をフェイドアウトさせる演出はいかがでしょう?
出典>>>三重県立美術館「丸清版・隷書東海道五十三次」より(品川・鮫洲の茶や)
な~~んて考えたところで、ようやく気がついた。
あぁ、わかっていながらわざとそう作っているんだわ~。
トップスターから初舞台を踏んだばかりの研一生まで、それぞれにファンがいて、繰り返し観劇する人が多いという宝塚の特殊性。
小柳先生はそれを実によく理解し、そして利用しているんじゃないだろうか?
良い芝居を作ろうと思うなら、
演者たちの成長を考えるなら、
絶対にしないであろう視線誘導のないごちゃついた演出も、リピーター続出を生む計算づくなんだわ。
さながら絵本の「ウォーリーをさがせ」や「ミッケ!」のように、もはやストーリーや芝居の出来などは眼中にないまま、ゲーム感覚で繰り返しあれやこれやと観ることが出来る工夫がいっぱい詰め込まれているのね。
見逃してもらっては困るストーリーの根幹、役者の素晴らしい表情、大切なセリフを、観客にもれなく捉えてもらえるように、舞台にいる全ての人間が観客の視線の誘導を担わなければなりません。
だから、今回の芝居のように視線誘導のビジョンがないまま後ろの下級生たちにわちゃわちゃ小芝居させることは、実はとても残酷なことなのです。
なぜならば、このままでは視線誘導の重要性を理解できず、結局、何時までたっても隅っこで芝居の効果としては不必要な小芝居を喜々として続けるような、居ても居なくてもいい(というかむしろ邪魔な)存在にしてしまうから。
そんな状態でも懸命に小芝居している下級生が不憫でならない。
確かにどんなに隅っこでも本筋そっちのけで見てくれるファンもいます。
見に来た親御さんは嬉しいでしょう。
でも、実は宝塚ほど視線誘導が重要な劇団は他にありません。
トップスターがあんなに大きな羽根を背負っているのはどうしてでしょう?
それはもちろん、どんなにたくさんの出演者が舞台にいたとしても観客の視線をトップスターへと導くためです。
ショーに限らずトップスターあるいはその場面のスターさんの素敵な芝居や歌やダンスに視線があつまるように周りの人達は心を配ることが求められますよね。
と同時に、宝塚では特に、たとえ舞台の端っこにいてもキラリと輝いて観客の視線をつかむことも要求されます。
この二つの事は一見正反対のように思えるのですが、視線の誘導の感覚をしっかり磨けば実は全く同じ事であるとわかるはずなのです。
台詞の間が上手い。華がある。ついつい目が行く。
これはほとんど全て、この視線誘導を理解しているからにほかなりません。(理解じゃなくて感覚でつかんでいる人も多いでしょうけど。)
当然のことながらスターさんはみんなこれが上手い。
下級生のころから視線誘導が上手かった人としてぱっと思い浮かぶのが、みきちゃん(真矢みき)かな。
彼女の場合、まず目が効く。
その視線の方向、瞬きのタイミング、身体の動き、顔の向き、そして台詞(台詞がない場合もあるけど)、それらをほんの0コンマ数秒から1秒くらいかな?ずらしてくる。
その微妙なズレによってみきちゃんは観客の視線をつかみ、見てほしいと思う自分自身の表情や台詞をちゃんと見せて、そして、その次にはみきちゃんが向けた視線の方向に観客の目を向けさせることができたわけ。
今は昔ほど大芝居ではなくなったので、あまりずらし過ぎちゃうと逆に変になっちゃいますが、特にコメディにおけるみきちゃんの間の良さは今見てもさすがだなって思う。
「キス・ミー・ケイト」の借金取り立てにきたギャングなんて、台詞はほぼないのに本当に面白かったっけ。
演技力の高さとはちょっと違う種類なのかもしれないけど、広い意味で言えばこれも芝居の上手さのひとつ。
せっかくいい表情、いい演技をしたとしても そこを見てもらえなければなんにもなりませんもの。
だからといって自分だけに視線を釘付けにし続けるのも舞台を壊してしまうもの。(いわゆる悪目立ちってやつですね。)
人を立たせて自分も立たせる。
ちゃんと視線のバトンを渡すことはもちろん、時には大切な視線の流れを邪魔しないように自然な芝居で動かないでいることも大切。
そうすれば次に動いた時にまた観客の視線をつかむこともできるわけです。
視線誘導の上手い人は、真ん中のスターさんを際だたせるために、観客の視線をまず自分に向けさせ、そしてそこから、もらった視線を最もいいタイミングで真中に向けさせる。そんな事が出来るんですね。
バウホールくらいの大きさの舞台なら、そういう役者の力量だけで観客の視線のバトンをつないでいくこともできますが、広い広い大劇場ではさすがに限度があります。
演出家が舞台の構図・人の配置そして効果などある程度は計算しなけれなければ、効果的な視線の流れは生まれてきません。
しかし、そんなことよりも小柳先生は集客第一。
なにもかもごちゃまぜに舞台にのせてリピート客を生むことが目的のようで…。
潔いくらいの割り切り方ではあるけれど、私のように1度しか観劇できない人にとって、そして、芝居の効果に貢献できない小芝居を続け、大切な感覚を磨くことができない下級生たちにとっても、ずいぶん不親切な演出家さんのように思えます。
もちろん、商業演劇である以上、収益性を追求するのは当たり前だし、私もかつてはリピーターだったから、その楽しさもわからないではないのだけれど…。
宝塚の演出家には生徒を育成するという責務もあると思うので、あんなふうに視線誘導の邪魔になる小芝居をそこらじゅうでさせるような演出スタイルをみるとなんとなくモヤモヤしてしまう。
暗がりで下級生を踊らせる正塚先生のほうが、ずっと理にかなっているし、感覚を磨くという点で実は生徒を成長させていると思います。
観に来ている家族とか下級生のファンにとっては不親切かもしれないけれど…。
まぁ、素人が何をほざいても見当違いの事なのかもしれません。
そんなどうでもいい愚痴よりもなによりも、ちぎちゃん!
本当に素晴らしいわ~。
とてもナチュラルにすぅ~~っと視線を惹きつけて、軽やかでリズミカルな芝居に導いてくれるのがとても心地よい。
しかもふと見せる陰影が美しく、繊細な感情も表現できる人。
ラスト、おそめの手を引き銀橋を駆ける佐平次のちぎちゃんに見惚れました。
だからまぁ、これはこれでいいのかな。
いったい何処を見ればPart1はこちらです。
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